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8月14日

初めてのお泊り始末記!

3年生になる孫が、未だ一人で泊まったことがなかった。 
何時も「一人で泊まりにおいで」と言うと必ず「家族でね!」と言う返事だった。
下が出来るのが遅かった為か?殊に親離れが悪く、親の方も離せなかったようです。
息子達も「それは可笑しすぎる」と言う事になり、2泊3日で来る事になった。

夫は3日間の予定を立て、楽しみに待っていた。 
私は、送り迎えも食べさせる事もしなければならないので、中1日を何処かに連れて行き後は家では妹に邪魔をされて出来ない事をして遊んであげれば良いと思っていた。
行き当たりバッタリ出たとこ勝負の性格の私とは大分違うようだ。
その上、何か教えたり躾をしたりしなければと思っていたらしい。 これまた考え方の相違で、一緒に住んでいれば兎も角、躾・教育は親に任せれば良く、爺婆は可愛がって遊んであげれば良いと思っている。
悪い事、危ない事をしたら注意は必要だが・・・・。

当の孫は、夕飯が済んだらママに電話をかけ「ママがいないから淋しい・・・・」と言ってメソメソしていた。息子達が何時もより早めに帰宅してくれ、トランプで遅くまで遊んだので気分解消、寝たくないほど楽しかった様子。

翌日は、葛西の水族館に連れて行った。夫はさっと観て、夕食を済ませ姑の所に連れて行く所まで予定を組んでいる。
水族館は最近家族でも行ったようだったが、小学生ともなると展示物を観るだけでなく、イベントに参加して質問したり、ビデオや映画を見たり、写真を撮ったり、結構1日たっぷり遊べて良かったようだ。
道路が混まない内にと早目に帰路につき、好物のお寿司を食べ姑の家に寄り小遣いを貰い、大満足のようでした。

最終日、夫の予定通り検見川浜に連れて行き、浅瀬で水遊び(親が一緒でない時に海には連れて行きたくないのだが)、昼はお気に入りのハンバーガー を食べ、帰宅。又ひとしきり遊びの相手をして、夕食はオムライスのリクエスト、翌日の孫の予定も有るので9時30分に送って行く。

バタバタした3日間のスケジュール終了。何より嬉しかったのは、親の顔を見た途端に「楽しかったよ!又行きたい」と言ってくれた事、来年の夏休みのお泊りの約束をして帰りました。(比較的近い距離に住んでいるので、最近は殆ど泊まらず私の方が泊まる事が多いので)

よく、“孫は来て良し、帰って良し”と言うが、全くその通りです。年末には3人目のお産の手伝いがあり、その為にはモット体力を付け元気にならなければと思う次第です。 

8月5日

乳癌術後1年経過して・・・

一昨日、術後1年目の検診に行きました。血液検査・胸部X線撮影・マンモグラフィーです。
血液検査も昨年は抗癌剤治療の時に嫌と言うほど針を刺されました。血管が細いので採りにくいそうですが、、「今日は上手く行くように」と祈りました。
マンモの痛さは堪りません! 話には聞いていたけど、まだ傷跡も硬くしこったりしているのに、上から挟まれるのはまだしも縦方向に挟まれるのは限界でした。 先生曰く「しっかり挟んで組織を広げないと写りが悪く、検査する意味がないので出来るだけ我慢して欲しい」との事、又来年に宿題が残りました。
 
8月8日は骨シンチ、朝8時から昼頃までかかるそうです。8月15日に主治医による結果診断で1年目の検診終了です。
悪い結果が出ないように祈るのみ・・・同病の仲間(がん友)、一喜一憂したり、励まし手助けしてくれる友人、家族が安心出来るように・・・
 
昨年は本当に多くの方々に心配頂き有り難うございました。長く辛かったけど、治療に追われてアッという間の1年でした。(これも、結果オーライの上で言える事なのかもしれませんが・・・)
 
健康な時には考えられない事も沢山有りました。初体験の手術は恐怖心も痛みも無く終ったようですが、抗癌剤治療は体験者で無いと分からないと思います。髪の毛や爪は元に戻るとはいうものの、点滴を受ける時の恐怖感、その後の発熱、だるさ・・・。
通院治療というので楽に考えていたけど(夫など、見た目は何でも無いので横になってると甘えていると言われ)、家事は殆ど出来ず食べる事意外は目を瞑る事にしました。事実出来ないので横になる時が多かったようです。
最近になって、やっと少しずつですが、普通に家事が出来るようになりました。(必ずゴム手袋をはめての家事は辛いものが有り、ストレスが溜まります。)
 
抗癌剤治療が9月~1月だったので、家に居ても外部からの菌を避けるため嗽・手洗い・マスクが欠かせません。白血球が下がって抵抗力が弱っているので風邪にかかったりしないように夜中にも起きて嗽をしました。(神経質なほど)
外出(病院に行く位ですが)の時は帽子・マスクは必需品です。白血球の異常には泣かされました。治療が順調に進まないのです。でも自分ではどうしようもないのです。年末の病院の休みにも腫瘍内科の先生が出て来られ、白血球を増やす注射を2回も打ったにもかかわらず、白血球の戻りが悪く6回目の抗癌剤点滴は中止になりました。(完全に癌細胞をやっつけられたか不安は残るけど・・・)
放射線治療は25回毎日通いました。身体へのダメージは少ないけど、それなりの副作用も有り、車で毎日通うのも以下に車好きの私にも負担になりました。けど、運転出来たから通院できた事なので、感謝!!
 
そんなこんなですが、楽天的な性格なので前向きに考えれば、マスクや帽子を被っていても不思議に思われない時期であった事、自分自身もウィッグを付けていても暑く鬱陶しい事も無く、この暑い時期には髪も復活して元通り?になっている事、千葉県ガンセンターで良い先生に廻り合い、同じ悩みを持つ ガン友が出来た事、パソコン仲間とスカイプで交流出来て励まされ、家での閉じこもり感も無く退屈しなかった事、クラスメイトの協力で通院出来たり、遠方から何度も足を運んでくれてストレス解消の手伝いをしてくれた友達、メールをしなかった人が一所懸命メールで近況を聞いてきて、何かと心配りをしてくれたり、近くの友人は食欲の無い私の口に合うものを届けてくれたり、掃除機も使えない状況だったので手助けをしてくれたり、それはそれは口に表せないほど大勢の皆さんの励ましや気持ちが痛いほど身に染みて感謝できた事が最大の収穫でした。
 
中々弱者の身にならないと分からない事、自分が逆の立場だったら出来ただろうか?と反省仕切り、とても良い勉強にもなりました。長い期間をかけて出来た友人達だが、こんなに大勢に支えられ一人ではない事を改めて実感出来、今後の病気に立ち向かって行くための勇気が湧いて来ました。兎に角“明るく、前向きに、振り返ってみても仕方が無い”をモットーに、日々を大切に生きたいと思います。
 
唯一のブログ友達の☆彡とわさ~ん、心配かけていますがこれからも宜しくお願いします。
 
 
7月16日

こだわりの梅干・その2

今年もやっと梅干を漬ける作業が終った。この時期になると梅の何とも言えない良い香りが家中に漂う。
 
もう何十年にもなるのだが、最初の頃は八百屋さんに南高梅を注文していたがスーパーが出来て八百屋さんが無くなった。
パソコンを使うようになって、インターネットで梅を大事に育てている農園のホームページを見つけ注文して送ってもらっている。
 
木で完熟させた物なのですぐに漬ける事が出来るのが有り難い。
3日ほどで水が上がり赤紫蘇を入れたので、後は土用干しをするまでカビが出ると大変なので時々覗いている。
昔は3割塩と言われかなり塩分の強い梅干だったが、今は健康志向で1.5割以下にしている。
 
昨年の今頃は乳癌が見付かり入院騒ぎでバタバタしていた。梅酢がかぶっていればカビは出ないと思いながら、腐らせては良い事が無いと言う思いで
一杯だった。何とか退院して土用も過ぎてしまったけど、晴れ間を見て干すことが出来た。
思いの他良い仕上がりだったので嬉しくなり、心配して頂いたりお世話になった方達にお裾分けをしたので、スッカラカンになってしまった。
 
術後約1年、何とか快復に向かっているようなので、今年も美味しい梅干が出来る事を祈っております。
 
 
 
5月25日

母の日に思う事

 
1900年代のアメリカヴァージニア州が起源といわれています。1905年5月9日、アンナ・ジャービスという人の母親が亡くなりました。やがて彼女は、「亡き母を追悼したい」という想いから、1908年5月10日、フィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。これがアメリカで初めて行われた母の日だそうです。この風習がアメリカのほとんどの州に広まりました。そして1914年、その時のアメリカ大統領だったウィルソンが5月の第二日曜日を母の日と制定しました。

今年も息子夫婦からプレゼントが届きました。御礼の電話をして、孫との会話を楽しみました。
贈る側の立場を考えると大変なのです!何にしたら良いか悩んだ事でしょう。でもうれしのです。私もかつては姑に贈る物を考え悩みました。
 
プレゼントは日頃の母への感謝の気持ちの印なのです。息子は思っては居ても中々表現できないのだと思いながら、“母の日”が来る度に店の商戦が始まると寂しい思いをしました。ふと思いつき、姑へのプレゼントを選ぶ時に、自分の分も選ぶ事にしました。 そんな姑も90歳を超えました。ある年齢からは品物より好物のうなぎを食べながらお喋りをする方が良い事に気付き、食事に出かけたりもしましたが最近はそれも億劫のようです。
何時何が起きてもおかしくない年齢、顔を見てのすれ違い、同じことの繰り返しの会話の相手をする方が良いようです。日頃姑の傍にいて世話をしてくれている義妹に感謝しながら・・・・
5月7日

並びました!

ゴールデンウィークのある一日。息子に付き合ってと言われて大久保にある有名なケーキ屋さんに行った。

開店時間前だったけど並ぶのは覚悟の上ではあったが、行ってビックリ 

暑い日だったが皆根気よく並んでいる

30分ほど並んでやっと店内に入れた。

 

谷津ロールが看板娘らしい。

店内でもさらに並び、注文して受け取るまでしばし待つ。誰一人いらいらした様子も無くひたすら待つ。

待つ事に喜びさえ感じる。何か行列が出来ているとつい並びたくなる。美味しいものが食べられるならなおさらの事。

ここのオーナーはホテルのパティシエで、「テレビチャンピョン」に出て優勝し、独立して店を持たれたとか・・・

もう何年も前の事だが幕張の某ホテルで、友達と食事の後のお茶をするところが有り、

ケーキと珈琲が定番なのだが、ある時直感的に美味しくない事が有り、会計の時に「お味が変わったようですが?」と尋ねたら

パティシエが変わったとの事、どうもその時だったようでした。

さすがそれだけの事は有り、お味は勿論 お店の雰囲気 接客方法なども良く、目玉商品の“岩シュー”を

並んでまでも買いに行きたくなっております。折角痩せたのに又太るかもしれません

                        

 

 

4月28日

こだわりの梅干

 

昨日、和歌山県の梅農家の方からのメールが届きました。 早いものでもう1年経ってしまったのです!

毎年25年以上もやっている事ですが,10~20kgの梅干を漬けます。 

最初は八百屋さんに注文していましたが、IT時代になってインターネットで“こだわりの梅”を作っている農家を見付けました。

手間を掛けて漬ける以上は美味しい梅をと思い、和歌山の南高梅にこだわっています。不作の年は1kg2,000円の時もありましたが

家族の好物と言う事もあり、こだわって続けて居ます。唯一のお袋の味かも・・・?

昨年は、突然の乳癌の手術と重なり、世話を出来るか心配でした。

失敗したら悪い事が起きるかも知れないと思い真剣でした。

梅は完熟のものが届き、何とも言えない良い香りが家中に広がります。

直ぐ漬けられる状態のものです。

水が上がれば、紫蘇の葉を入れ土用干しは退院してからの事、準備万端整え入院しました。

退院して抗癌剤治療に入る合間の天気の良い日に3日間干し上げました。

大成功でした!例年に無いほどの仕上がりでした。色も塩梅も良く感激しました。

何か気持ちが通じたのだと思い、心配して頂いた方達にお裾分けしてスッカリ無くなってしまったので待ちどうしく早速注文しました。

今年は無事過ごせるようにと、梅干の種の中の天神様に祈る気持ちで一杯です☆  

    

 

 

 

 

   

4月15日

一つとして無駄なものは無し!

放射線治療が終了して約1ヶ月になります。
照射した場所の皮膚の色が黒ずんでいたけれど、其れが黒いふけのように剥がれ落ち胸帯に着いています。スッカリ取れたら普通の肌になるようです。  少しずつ体力も快復して来ました。 不思議なもので快復すれば身体も動くようになるのです。(夫にはサボっているように思われていたようですが・・・)
 
動けるようになると家中のあっちこっちが気になり出します。7ヶ月も家事はお休みで、最小限度の食事と洗濯は夫と息子がやっていましたが、掃除は全く駄目で具合が悪い時は目をつむっていたので、大変な事になっています。 掃除機は少し掛けると腰が疲れ、毎日は出来ません。腹筋、背筋が弱っているのです。 トイレが大変な事になっていました!!1階は様子を見ながら掃除していたけど、2階は上がって行かないので気にはなっていたのですが・・・? うつむいたり、かがんだりする作業をして夕方になると胸が張って硬くなり痛みを生じます。(これも副作用?)
 
拭き掃除も大変です。抗癌剤の副作用でいまだに爪がうろこ状になり何かに引っかかるとなま爪を剥がしそうになり、特に人差し指は爪が薄くなっているので、まるで爪がないようなウズウズする気持ち悪い感覚が何とも言い難いのです。 そして又、何をするにも良く使うし、其処に力が掛かるのです。健康な時には分からない現象です。水仕事はゴム手袋無しには出来ません。こう言う事がストレスになるのです!
 
体毛もすべて抜け、一番のショックは髪の毛。全く無いと寒いし、怪我しそうでした。鼻毛もばい菌が入りにくくなっているし、皆各々役割があるのです。 唯1つ顔だけは、つるつる、スベスベの卵のようで気持ちが良くて、化粧をしたらさぞノリが良い事だろうと思い、そのままであって欲しいと思いました。
 
人として五体満足で生まれ出て、持っているものは無くてはならない物なのです。病んで初めて気付かせてもらいました。生を全うするまでなるべく大事にして行きたいと思っています。 
4月10日

はまってま~す2!

 
メールが何時も尻切れトンボになるので、モット沢山入るようにと思いフォーマに換えました。ところがそんなに簡単なものではなく、まるでミニパソコンのようです。
暇さえあれば携帯をいじっているので夫からはすっかり呆れられてしまいました! マニュアル書を前に後ろに読むけれど中々理解が出来ません。
 
何とかメールは出来るようになり、文字を大きくしたり、絵文字を入れてみたり・・・パソコンのようにメールを開くと、曲が流れたり背景をつけたり、写真は勿論動画まで送れます。経済的なことを考えなければテレビ電話もかけられます(あまりお呼びでないけれど)。前回の携帯のようにグループ毎のフォルダーに受信振り分けが出来ないものかいじっていて、何人もの人達に夜中に空メールを送ってしまいました。2年前の過去メールも送ってしまいました。迷惑な話です。
あまりいじり過ぎて、元に戻れなくなりメニューの出方がめちゃくちゃになり、最後は息子に助け舟を出し、叱られました
 
納得いくまでやりたいのが私の性分ですが、限界を感じました!メールの作成、送信、アドレス帳、スケジュールの記入に毎日何時間もいじって2週間もかかりました。 多分これが私の最後の携帯になるのかもと思うと寂しくなりました。これ以上難しくなると使いこなせません。
退屈しのぎの玩具には持って来いですが、来月の請求が恐い事になりそうです。

 

3月10日

ハマっていま~す。

通院の支度をしながら、ふとテレビを見ていると便利グッズと紹介されていた。
ゆで卵が好みの状態で出来上がるとか? 
これは持っているけど、5年位前からキッチンの引き出しの奥にしまわれていて、あまりお呼びでないグッズだった。
早速取り出して試してみる。 何時も半熟状態が上手く行かないのだが、ソフト、ミディアム、ハードと3つの茹で加減が、一緒になべに入れたメーターの色の変わり具合で分かる優れものです。(淵の方から色が変わる)。
 
 

 

カタログショッピングで購入したのだが、宝の持ち腐れになる所でした。 卵があれば何も要らないほど卵好きの私にとって、無くてはならない物になり、毎日ハマっていま~す。 (コレステロールは大丈夫?)

 

3月1日

カウントダウン!

 2月6日から始まった放射線治療も、いよいよ10回を切った。 あと一息だがやはり何もない訳はない!
 中盤で放射線の先生の診察が有った。先生はすべて想定内の事で様子を見るのである。 特に変わった事ではないらしい
 が、回を重ねる毎に皮膚がヒリヒリしたり、赤みを帯びて熱を持ったりするので照射後直ぐに保冷剤(ケーキ用の小さいもの)
 を当てると良いと言う先輩からのアドバイス。 早速実行、大変気持ちが良い。 家に着くまでにクールがホッとになってい 
 る。 
 治療時間は短いけど毎日の通院は結構疲れる。 土日は一日中寝ていたい気分。 だけど病院に行くと仲間が居る。
 同病相哀れむでお喋りすると癒される。 順番を待つ間も情報交換で退屈しない。 どうしてこんなにがん患者が多いのだろ
 うか? ストレス? 食べ物? 環境? 兎に角癌は強力である。 一度取り付かれると、これでもか?これでもか?と言う
 具合にやっつけなければならない。そして生を全うするまで頭において生活しなければならない。 
 明るく、楽しくをモットーに・・・・
2月7日

終盤?

二月からいよいよ放射線治療に入る。
 
放射線科の先生の説明を受け、身体に印を付け(これまたお風呂に入ってこすってはいけないそうで、あかつきの君になるのでは?と心配)、6日から始まりました。 孫に「放射線は痛くないの?」とか「光るとまぶしいの?」とか質問されたが、「目をつぶっているので分からない」と答えたのだが、二度と有ってはならない貴重な体験なのだからその内そっと目を開けて見なければと思っている。
 
未だ2回なので、今のところこれと言った副作用も無く治療j時間も短いので、毎日の通院もこなせそうな気がするのだが・・・・。
人の話によると、中盤から先になると辛くなるらしい。副作用も其々人によりけりだそうで、経験してみないと何とも言えない。
兎に角もう少しの辛抱。 前進有るのみ、頑張れ、ガンバレと自分に言い聞かせている。
 
1月25日

ミステリーツアー・第2関門

抗癌剤治療の5回目が年末年始に掛かり、熱が下がらず血液に副作用が強く出たようでした。これ以上続けると心配と言う事で9日に予定していた6回目の投与が中止になりました。 
この位の事は皆も闘っているのだから頑張らなければと思いつつ身体がギブアップしてしまいました。
 
24日に乳腺外科の主治医の診察を受け、ホルモン治療の薬の服用の指示を受けました。 1日1回1錠を5年間、1,825錠になります。
今日から始まりました。それなりの副作用も有るようで心配だが、先生曰く「女性の平均寿命まで生きる事を考えて治療しているのだから・・・」
前へ進むしかないのです。
 
29日は放射線科の先生の診察です。 ピンポイントの照射箇所の指示と治療開始日の予約です。25回、5週間毎日通院です。
これが終われば春頃には長~いトンネルの向こう側に出られそうです。
1月23日

続・まさかの番狂わせ

12月8日   4回目の結果の検査、案の定白血球の数値が下がり過ぎ、増やすための飲み薬を貰って帰る。
 
12月19日  相変わらず白血球の数値は抗癌剤投与可能な数値のギリギリの所だったが5回目を投与。 
       10日後が病院の休みに入るので28日の予約を取る。
 
12月28日  白血球の数値が異常に下がり過ぎ、注射をして30日に再度来院の予約をとる。
 
12月30日  病院は休みだが、担当の先生が出て下さり注射をして帰宅。先生も大変な事です。感謝に尽きる。
      ここからが大変で、お正月どころではない。毎日熱が出るので寝ていなくてはならない。
      抗生剤や解熱剤を貰っているので飲めば下がるのだが・・・
 
1月9日  熱が出たり退いたりで、殆ど食べられないのでかなり体力を消耗したようだ。
     血液検査の結果、白血球の戻りが悪い。年末に2本も注射をしたのに・・・先生も納得できない様子。
     さらに1週間様子を見る事になる。
 
1月16日 又血液検査、血管はペッタンコで採血し難いようだ。やはり数値が悪く、お正月頃の様子で先生も
    決断され、6回目の投与は中止となる。これから3週間の事を考えると気が重かったのでホッとする。
 
1月20日  5回目投与から約1ヶ月。 味覚障害も次第に戻り、抗癌剤が身体から抜けてきたせいか? 1部刈り    
     の坊主頭くらいの髪の毛が出てきたのが嬉しい。
 
12月18日

まさかの番狂わせ

10月3日、2回目の抗癌剤投与。白血球はギリギリOKのラインだったので実行。髪の毛はすでに抜け始めている。点滴の量を減らして受ける。

10月13日、血液検査。やはり白血球の数値はかなり減っていたけど薬も注射も無く次の予約をして帰る。
 
10月24日、3回目の投与。 白血球の戻りが悪く、1週間後なら増えるかもと言う事で延期になる。

10月31日、白血球の数値がどうにか戻って、やっと3回目の抗癌剤投与。なるべく安静にして次の血液検査に備える。 

11月10日、血液検査。 白血球の数値は何とかクリアーしたけど、咳が出ている、風邪をひいたようで薬を貰って帰る。抗癌剤の治療が終わるまでは外出も控えた方が良いと言われ、買い物も夫や友達にお願いしている。

11月21日、4回目の抗癌剤投与。咳も収まり今日は出来ると思ったが、白血球は充分戻っていたが今度は熱が少し有るという事で中止。 友達にまで何度も足を運ばせてしまい申し訳ない。 副作用も人其々だけど私の場合は血液に強く出ているので先生もかなり慎重のようです。

11月23日、息子が孫を連れて見舞いに来る。 1週間伸びたお蔭で、味覚障害も戻って来てたので久し振りに皆でうなぎを食べ、鋭気を養い、孫と遊び癒された。 半日ほどの事だったけど少々疲れた。 早く元気になりもっともっと、ふれあいたいと痛切に思った。

11月28日、やっと4回目が終わった。

3週間置きに6回、割合気楽に考えていたが年末年始を挟んでの後2回が終わるまで、中々気の抜けない話である。

11月29日

結婚記念日

今日が43回目の記念日でした。毎度の事ながら夫はすっかり忘れており、、今までは何となく仄めかして外食位はしておりましたが、今年は大変なプレゼントを貰っているので何も言い出せずにおりました。
 
夕方になって気が付いたようで、食事に行くかと誘われたけど抗癌剤投与の最中では味覚がおかしくなり、何を食べて美味しくないし、外食も禁止なのでお流れになりました。 
 
出産・育児・教育・就職・結婚と子供の成長に追われあっと言う間に人生の大半を過ごしてしまいました。そんな時に突然の発病・手術・闘病生活でスッカリ番狂わせになってしまいましたが、自分を見つめ直す時間をプレゼントされたと思います。
 
毎日、一日中家に居ても最小限度の家事と、安静が一番のようでなるべく休んでいようと思うと何も出来ない内に1日があっと言う間に終わってしまいます。 今は病気を治す事が先決と思いながらも、消化不良を起こしている様な気持ちです。
 
来年は元気になれると思うので、日々を大切にし、悔いの無いゆとりを持った余生を送りたいと思っております。
 
10月5日

ミステリーツアー第1関門

9月12日、1回目の抗がん剤投与。 投与前の血液検査、体温、血圧チェックが有り先生の診察の後ベッドに横たわる。23床もあるのにビックリ! 点滴係りの先生の入念なチェック、確認の末針を刺される。(これが一番恐い)
2時間後に終わり、これから起こる副作用に対する飲み薬の説明を受け、白血球が一番下がる10日目の22日の予約を取り帰路に着く。
夕方頃に症状が出ると言うので、早朝7時に鎌ケ谷から迎えに来て呉れるクラスメイトとパスタを食べ御喋りをして3時半頃帰宅。
 
夕食の支度途中で、両手首の辺りの血管が浮き出て痛くなってきたので、薬を飲んで横になる。 9時ごろ一旦目覚めたが、そのまま朝まで眠る。点滴後3日の間位に副作用の吐き気・嘔吐などが有るので薬が処方されているし、点滴にも吐き止めを入れてあるので、それ以上は精神力の問題と外科の先生には言われている。 どうやらこれはクリアーしたらしい。
 
9月22日、血液検査の結果白血球が激減しているとの事。 血液に副作用が強く出たようです。白血球と血小板が少ないので次の点滴に備えて、注射と飲み薬投与、1週間の外出禁止、生もの、生野菜禁食、トマト、キュウリ、レタスも炒めて食べまるでイタリアン!牛乳は沸騰させて飲み、ヨーグルト禁止etc・・・・。
ストレスになりそうだが、治療のためなら仕方が無い。
 
其れよりショックな出来事! 予め起こりうる副作用を聞いていたのだが、抗がん剤の点滴3週間後ぐらいと言われていた脱毛が、2週間後に始まってしまった。 抗がん剤は活発な細胞を攻撃するようで髪の毛、胃、骨髄がやられるとの事、妙に納得。 これまた先生曰く「禿になるわけでなく、治療が終れば出てくるので、命とどっちを取るか?」だそうである。 でも悲しい、が受け入れるしかない。
 
ガン友と励まし合ったり、心配して通院について来てくれる友達や、家に様子を見に来て呉れたり絶えずメールで連絡してくれる友もいる。
多くの人に支えられて今ここに居るのだ。
9月19日

ミステリーツアー

8月10日の退院から約1ヵ月後の9月6日に、摘出したものの検査の結果が出て、今後の治療スケジュールの判決が出ました。 初期だからと、軽く考えていましたが、点滴による抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン治療とバッチリ三点セットになってしまいました。 先生から副作用の事などの話を聞かされ、その先へ進むかは自分の決断です。
 
8日に腫瘍内科で血液検査を受け12日に1回目の抗がん剤の点滴を受けました。副作用の対処の仕方など色々聞いたけど全くの初体験、やってみないことには何が出てくるか分からない。まるでミステリーツアーへ出発してしまったようです。
 
10年程前の海外旅行で、到着地の飛行場のストが有り、降りれるかどうか分からないまま出発してしまった時に添乗員さんにミステリーツアーだと思って下さいと言われ、不安を抱えたまま旅立ちハプニングの連続だったけど、無事帰国した時はとても印象的で忘れられない旅になったことを思い出し、めげそうな気もするけど一つずつクリアーして行けば来春には普通の生活に戻れる事が出来ると信じて行くしか有りません。
 
日によって体調の良し悪しが有り、何が出てくるか分からないので流れに逆らわないで行きましょう!今までもずっとそのようにしてここまで来れたのですから・・・・。
8月22日

退院しました!

突然の乳癌発覚!あれよあれよという間の検査・入院・手術・退院。まるでベルトコンベアーに乗せられた荷物のようでした。
 
初体験の麻酔・手術室・ICU、滅多に入る所でないからしっかり見てくる積りでしたが・・・? 手術台迄歩いて行って自分で上るのだが落ちそうな位に細く、テレビなどで観るような頭の上にライトが沢山有って迫ってくるような感じかと思いきや全然違っていた。
 
麻酔は笑気麻酔で、先生に3回深く息をしてと言われて深呼吸する内に何も分からなくなり、病室で家族の呼ぶ声がしたけど未だ起きたくないと言った記憶は有る。ICUで意識が戻るまでいたそうだが全く覚えていない。先生曰く麻酔の効きすぎだと笑われました。前の晩、メールをしていたら看護師さんに何度も「眠れなければ睡眠剤を出しますよ」と言われたけど自力で眠れるから大丈夫と断り続けたが、飲んでいたら永遠に目が覚めなかったかも?(笑い)
 
一番辛かったのは、手術は午後なのに前日の夜から水も一滴も飲めない状態だった事でしょうか? 長男が生後6ヶ月の時に、ヘルニアの手術を受けましたが、24時間前から水分もミルクも与えないように言われ、空腹で泣き叫んだらどうしたら良いか心配をしましたが自分の立場を察したかのように、全く泣かなかった事を思い出し乗り切りました。
 
術後は、1日前に終わっている同室の先輩に我慢出来ない痛さで無いと言われていたので、痛みも何とかクリアー出来ました。
 
病院の1日は結構忙しく、検温(1日4回)・朝食・回診・術後すぐからのリハビリ・講習会・昼食・面会・夕食・回診、消灯時間が22時であっと言う間に1日が終わる。 先生に入院中にしっかり勉強をして時間を無駄にしないようにと言われ、同室の人と病気についてのコミュニケーションを計る。 暇つぶしにと思い持ち込んだ音楽、大人の塗り絵etcが役立たずだった。
 
入院中に、病院スタッフ主催の夏祭りが有ったり、ポートタワーの花火が観られて、私と波長の合う仲間が居たので、それなりに結構楽しんでしまった。なってしまった事は仕方が無いので前向きに生きようという事です。 
 
3食(とっても健康的な)昼寝付きの入院生活10日間もあっと言う間に終わり、自宅療養中!月・水・金は溜まったリンパ液を抜くために通院中。 退院後の仲間としばし状況報告に花が咲く。 これからが大変になりそう・・・下界に居ると自分だけと言う不安感・恐怖感・ストレスも、病院に行くと同病仲間との闘病体験に安堵したり、励みになる。
 
乳癌初体験の現在の感想は、なった異常は仕方が無いが今は医療が進歩しているので、症例の多い癌専門の病院を選んだ(縁があった)事に間違いは無かったと言う事です。 同じ悩みを持った仲間が多勢居ると言う事はとても心強いものが有ります。
7月23日

ブラックホール

あっと言う間に7月も下旬、6月に毎年対癌協会でやっている検査に引っかかり、再検査、細胞針、組織検査をやって結果待ち。落ち着かない2週間だった。
 
癌センターを紹介された時には来る物が来たかという気持ちで割合冷静だった。1年前に検査しているから、早期発見で大した事はない積もりで居た。
 
初診の予約をして10日に癌センターに行き、1時間半もかけて先生から説明を受けた。運良く?空いているとかで早速検査に入り、次の日と二日間ですべて終わってしまった。
 
14日に予約をして、夫と3時間待った末に結果説明。またまた、時間をかけての先生からの説明は懇切丁寧で、一寸の不安も抱かせない。今時のインフォームドコンセプトと言うのだろうか?
お産以外、誰一人入院経験の無い健康家族にとっては、何事も初体験!
 
結局、結果は乳癌で、かなり長い時間(10年位)かかって1㎝ほどに育ち、そこから倍速で大きくなり3cmになっていたけど、自分で分かるのはさらに大きくなってからで、手遅れになってしまうので運が良かったそうです。それにしてもリンパの近くにも悪者が居たようで、切除しなければいけないとの事。 この時も冷静?
 
こんなに早く検査が済むのも珍しいとか、入院予約をしたら8月中旬、病院からの電話待ちです。 人生の終盤に来て突然落とし穴にはまった感じですが、ここまで無事に来られた事に感謝。かなりやりたい事はやって来たし、息子達も大人だし、夫も大分自立出来てるし・・・
孫(姫)の成長をもう少し見ていたいのが本音です。
 
先生曰く、切り取ってしまえば終わりなのは単なるおできで、癌は生を全うするまで付き合っていかなければならないもので、ここからが自分との闘いが始まるとの事。
待ち時間の間の患者の話を聞いてると不安です。
 
若い頃に級友が乳癌になったと聞いた時、大変だなと思ったけど子育てに取り紛れている頃だったので、激励の言葉もかけられなかった事反省してます。自分が経験しないと中々人の気持ちは解らない物で、今思うとさぞ辛く悲しかった事と思いました。今はスッカリ克服したように見えます。
 
幸い心配したり励ましたりしてくれる家族が居るので幸せです! 家族同様の友達も居ます。 幼馴染みの級友もいます。 未だ入院・手術もしていないのに励ましたりおしゃべりに来てくれるのです。 私が話す事によって気持ちが軽くなる事を知っているのです。有り難い事です。
 
入院中退屈しないようにと、最新式のデジタルウォークマン・モラをプレゼントしてくれました。CDが100枚入ります。パソコンを使って保存するので、器械好きの私が其れに夢中になれば辛さを忘れるだろうと言う心遣いからです。(涙・涙)
 
この歳?でパソコンが出来るのは良い先生にめぐり合えたお蔭で、これまた感謝!
そこで出来た友達が、お守りを貰って来て下さったり、励ましのメールを頂き、有り難い事です。
 
前にも書きましたが、日野原先生の仰るように、「老いてから出会う友の喜び(未だ老いてはいないけど)遊びや学習の場で出会った友は、喜びは倍になり悲しみは半減する。」とか。実際その通りでした。
 
皆さんの気持ちに応えるべく、体力を付け頑張って手術を受けて来ましょう!
家から1歩でも外に出ないと休養は有り得ない私にとって、神様からのプレゼントだと思ってゆっくり静養して来ましょう! 入院したらパソコンとはしばらくお別れです。
 
 
6月30日

大人の塗り絵 第一作

ボケ防止にと始めた塗り絵が完成したので、写真を撮って保存した。(バッカみた~い) 意外に面白くはまりそうです。 これははがきサイズだが、塗る前のものをスキャナーで取り込んで、A4やA5サイズにプリントして(塗り始めてから気付いたので、これは限定品?)・・・一粒で何度でも美味しいので~す。
  
絵を描くのは難しいけど、塗るのは好きなように塗ればよいので、自己流ですが色鉛筆でやっています。 色鉛筆も色々有って、消しゴムで消せるもの、塗った後から水を塗って水彩絵の具のような風合いになるもの、昔からあるノーマルのものです。
 
1ヶ月ほど前に聖路加病院の日野原先生の゛94歳・私の証 あるがまま行く”と言う記事を読み、感銘を受けたのですが「高齢になってからでも、本当によき友人との出会いはあり、家の中に閉じこもっている事はもったいない。良い才能の芽を持っていたのに、それを開花させる畑が無かったと言う人が多いので、今まで出来なかった事、する機会がなかったことを見つけてグループの人達と一緒にやって、自分の中に新しい芽が育つ事を発見して、新しく出会った友と一緒に行動する時の喜びは大きいものです」
 
「こうした新しい友との出会いは偶然ではなく、学習や遊びの場に自分を投入するという、自らの行動力が勝ち取った勇気の成果なのです」
いくつになってもよき友が有れば、ドイツのことわざにあるように「共に喜べば喜びは倍になり、共に悲しめば悲しみは半分になる」のだそうです。
 
先生の年齢までは行かなくても、歳を重ねるに当たって日々これを目標に出来たらよいなと思う次第です。