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ぴろりんの雑記帳

日常生活で気付いた事や昔の思い出・・・etc
November 15

平成19年11月14日

 ブログ再開? 長男の誕生日、七五三のお祝い日、夫の手術日と色々な事が頭の中を駆け巡る。
 一昨年の乳癌の手術後の抗癌剤、放射線治療の闘病生活を経て、昨年の11月にブログ再開しょうと思った矢先に夫が救急車で運ばれ入院。14日の深夜だが酔って帰宅途中に路上で転倒し、外傷性脳内出血。
翌朝意識障害が出たとかで急遽手術。 其処からが大変な11ヶ月となる。
一命は取り留めたものの最後まで糖尿病との闘いになる。糖尿病であるがために、治療に支障を来たし先生や看護師さん、助手の皆さんやリハビリの皆さんの努力の甲斐も無く、本人もかなり苦しんだ末に力尽きてしまったようでした。10月10日、永眠。
普段は痛くも痒くも無い糖尿病の恐ろしさを見せ付けられ、息子達には良い教訓になったのでは?と思います。皮肉にも、その日が丁度糖尿病予防デ―だったとは、今日の記事を見るまで知りませんでしたが・・・・
October 30

久し振りの蓼科

昨年の春以来の蓼科。私の体調を見てのクラスメイト(夫の公認済み)からのお誘いが有り参加させて頂く。
11時過ぎに拝島を出発、入笠山湿原を少し歩き買い物を済ませ温泉に入ってから友人の山荘に到着。
ベテラン主婦ばかりなので手早く支度をしワインで乾杯!
食後しばしお手玉に興じ、脳トレ,DSの話等々話題は尽きない。12時に就寝。
10月24日
10時頃出発し蓼科湖を見て1日遅れの友人と合流して八方尾根に向かう。ロープウエーで見晴らしの良い所で、ランチタイム!
リフトを2回乗り継いで目の前に広がる雪渓は素晴らしい。 スキーもした事がない自分がこんなに間近な所まで来れるなど信じられない。
10月25日
今日は遠出の予定。早朝7時に出発!上高地を抜け高山・白川郷に向かう。途中で新穂高ロープウエイが有る事に気付き寄り道をする。
思ったとおりの絶景を堪能する。牛肉コロッケ(飛騨牛)が美味しかった事・・・・ゆっくりしたいが目的地はまだまだ先なので思いを残しながらの出発。車
ここから運転交替(午後からは眠くなるので私は午前中の担当)。ナビが付いているもののかなりの距離だった。高山まで100kmとの標識を見てびっくり!
今更引き返せず目的地を目指す。地図では分からない山越えが有ったが紅葉の絶景ポイントだったようだが落ち着いて眺めていられなかった。
2時過ぎに白川郷に到着、遅い昼食をとり全景が眺望できる場所へ行き記念写真撮影。集落を散策して帰路に着く。
日が短くなったので暗くなっての出発。当てに出来ないナビを頼りに、諏訪湖のパーキングにあるハイウエイ温泉で入浴後山荘に戻る。なんと10時過ぎに
なっていた。今日1日で500km位走ったのではなかろうか? 3人で交替運転とは言えさすがに疲れた。12時就寝☆☆☆
10月26日
最終日、後片付けをして遅めの出発。「八ヶ岳倶楽部」でゆっくりランチを取り、清里周りで帰路につく。雨が降り出したので途中見晴らしの良い清泉寮の
テラスでソフトクリームを食べるのは中止。拝島に到着後夕食を済ませ10時に帰宅。
 
4日間、よく遊ばせてもらいました。留守を護ってくれている夫と、私の体調を気遣いながら連れて行ってくれる友人に感謝!!
さすがに翌日は1日中ごろごろしていたが、久し振りに歩いた割りに筋肉痛も無く、体が快復している事に喜びを感じている。
4日間も寝食を共にしていても不快感を感じないで過ごせるのは、皆其々の心遣いの結果だと思う。だからと言って疲れる訳ではなく、年を重ねる毎に我が儘になっている自分にとっては貴重な存在で有り難いと思っている。
 
 
September 29

気分転換

     
        
 
  9月23日、友達に誘って頂き鎌ケ谷倶楽部のサロンコンサートに行きました。
素敵な佇まいの宇井さんのお宅で、受付を済ませて珈琲とケーキを頂きサロンに移り、北林尚子さんのシターとピアノでシベリウスと
ショパンの曲の演奏、日下部由美さん・ガブリエルゴンザレスの夫婦コンビ(デュエットエスペランサ)によるアルパ(ハープ)の演奏に時の経つのも忘れてしまうほどでした。
アルパは女性が演奏するもののように思われるが、パラグアイでは男性が弾く物でも有るとか・・・
ゴンザレスの演奏に力強さと迫力、リズム感に会場が一体となりあっと言う間に終了!
その後、ビュッフェパーティーで話が弾み余韻を楽しむ。
久し振りに充実した1日でした。
 
 9月26日、パソコンクラブの帰りに映画鑑賞!「プロバンスの贈り物」と言うフランスのプロバンス地方を舞台にした仄々とした映画だった。癌の宣告を受けた1年前に、2本続けてみて以来の事。昼食を取る間も無く、ホットドッグを食べながら映画を観ると言う、超ハードスケジュールだったが、少しずつ体力が快復していると思うと嬉しかった。
September 25

姑の入院

  8月の最終日の夜、義妹から電話が有り、救急車で入院との事。夫とすぐに病院に駆けつけました。
 意識も有り、意外と元気だった。全く初めての入院で不安そうな面持ちだったが、我々はとりあえず帰宅。
 誤嚥肺炎とかで、高齢者に多い病気とか・・・? アルツハイマー気味なのと足が丈夫なので、どうやら歩き廻ったらしい。
 それからが大変、病院は人手が足りないのと専門病院ではないので、なるべく家族が来て面倒を見て欲しいとの事。
 義妹と昼夜交替で通い半月程で退院となる。病状が落ち着いたら一刻も早く退院して欲しい様子が明らかであった。
 
 義妹が行かないと、私より多く通っているのに「私がここに居ることを知っているかしら?」とか「他に家族がいる訳でもないのに、何故
 来ない?」と聞き私には「家族がいるので、早く帰るように」とか「悪いね!悪いね!」を連発する。
 やはり嫁には遠慮が有るのだろうか?
 でも、帰ろうとすると「私も一緒に帰ります」とか「玄関まで見送る」と言う。 それがいけないことが分からず説得するのに時間が
 掛かる。 孫達が見舞いに来て大喜び!息子が「まさか婆ちゃんにおかゆを食べさせる事になるなんて、思わなかった。」と言って
 帰って行きました。 翌日、額に入れた孫の写真を見ても憶えていませんでした。90歳にもなれば仕方が無いけど悲しい事です!
 
 そんな或る日、同じ事の繰り返しの会話をしていて気が付きました。姑が若かった頃の話や息子が小さい時に良く遊びに行き、
 可愛がって貰った頃の話をすると良く憶えていて、同じ事の繰り返しの話はしないのです。
 適度な運動(夜眠れるように)と退屈しないために、お手玉を持っていきました。大成功でした。昔を思い出しながら触り始め
 暫く遊びました。 姑より4歳も年上のお年寄りも何人もおり、昔を思い出すかのように目をつむり暫くしていじり始めた事に
 感動しました。バラ
 
 昔、ある友人が「お金と着る物はあの世に持って行けないが、食べた物や見た物はは持って行けるので、出来る時に美味しい
 ものを食べたり、旅行は行ったほうが良い」と言っていたので、チャンスが有れば旅行をしたり美味しいものを食べ、お蔭で太って
 しまいましたが、今納得出来ました。
 あの世に行かない内にも、今日の記憶が薄れ行く時に、子供の頃や若い頃の記憶は残っていて甦ってくるようです!
 これから暫く姑の介護に向き合う事になりそうですが、自分の近未来の為にもどの位付き合って行けるでしょうか?
 
 入院中に姑が「私は、今まで意地悪していたのかしら?何か悪いことしていたのかしら?」と言った言葉が耳から離れません。
 私が嫁してからは1度もその様な事は無かったのですが・・・・
 
August 26

術後、1年検診の結果

8月15日に1年目検診の結果が出ました。
 
骨・肺・マンモも異常なし。CTスキャンは何時もより丁寧に診てくれてるような気がした。
左側は皮質が厚く硬くなっているそうで、これは放射線治療の後遺症とか・・・皮膚も変色しているが心配は無い。
元に戻るのに1年半はかかるそうです。癌細胞をやっつけるには、身体に受ける影響の少ない放射線でさえ、かなりのダメージを受ける事を身を持って体験しました。
 
血液検査の結果は、白血球は低めだが免疫力が弱いという数値は出ていないし、腫瘍マーカーは正常値なので今の所心配無いと言われ、ホッとして帰りました。
 
不思議なもので、痛かったり不安に思ったことも先生の診察を受け、説明して頂くと安心するのです。若い頃に、もしガンの宣告を受けたらどうなるだろう?と考えた事が有ります。
今は本人にも告知し納得の上で治療に当たるようですが、年齢のせいか、意外と冷静に受け止め、先生を信頼して「やるっきゃない」と思い今に至りました。

幸い良い先生に当たり手術を受けましたが、1年経たない内に転院され、ちょっとガッカリ!でも、後任の先生も良さそうでした!
疑問を投げかけるとそれに対してキチット説明して対処して下さる、精神安定剤のようなものかも? 
この先10年間はガンセンターに通わなければなりません。ずっと同じ先生で有ろう筈が有りません。

たとえどんな先生に当たっても、こちらが真剣に病気と向かい合い疑問を投げかけて行けば(呆けていたのでは自分の病気の治療は出来ないよと言うのがS先生の持論)、キット良い結果に繋がる事と思い、来年2月の1年6ヶ月検診に望みを託したいと思います。